山本能楽堂の取材
広報委員会
10月23日 山本能楽堂を取材しました。
さわやか通信第51号の「沿線ウォッチング」に掲載するため、山本能楽堂を取材しました。
山本能楽堂は、大阪メトロ谷町四丁目駅から徒歩約5分にある、大阪で一番古い能楽堂です。
車の往来の多い谷町筋から西へ市街地を歩くと、数分で落ち着いた雰囲気の和風の建物が左手に見えます。建物に入ると、中は清閑な佇まいで、木の温かみを感じる能舞台と桟敷席が広がっていました。檜の香りに包まれた、心落ち着く空間です。
私たちは、約1時間の能楽堂の「見学会」に参加しました。観世流能楽師シテ方の前田和子先生にご案内頂きました。
まず、1階の桟敷席で主に、山本能楽堂の歴史、能の歴史、能舞台についてご説明頂きました。
山本能楽堂は、1927年(昭和2年)に創設されました。1945年(昭和20年)に、大阪大空襲で全て消失しましたが、戦後、1950年(昭和25年)に再建されました。三階建ての木造建築で、伝統的な能舞台を持つ能楽堂として貴重なため、2006年に国登録有形文化財に登録されています。
能は、約650年前に日本で生まれた古典芸能で、能面を付けて演じる仮面劇であり、また音楽劇でもあります。室町時代に観阿弥と世阿弥によって大成されました。室町時代には将軍足利義満、戦国時代には豊臣秀吉をはじめとする武将、江戸時代になると武家、明治時代以降は財力を担う財閥というように、時代の変遷とともに様々な層からの保護・支持を受け、発展を遂げてきました。2008年にはユネスコの世界無形文化遺産に指定されています。
能舞台には、能がもともと屋外で上演されていた名残から、屋根がついており、またそれ故、屋根を支える柱があります。この柱は、一見、観客にとっては視界を遮るものとなるため邪魔なもののように思われがちですが、実際は、能面をかぶると視界が狭く足元が見えない演者にとって舞台の広さを知る手立てとなる、舞台上の大切な目印となっています。
能舞台は、正方形の「本舞台」と、舞台左側の「橋掛り」で構成されています。「本舞台」の後方には、神様が降りてくる木と言われ、常に青々とした枯れることの無いおめでたい木である松の絵が描かれ、これは「鏡板」と呼ばれています。「橋掛り」の奥には、「鏡の間」があり、ここで、シテ(演者)が装束を付け、鏡に向かって精神を凝らし、登場の時間を待ちます。「橋掛かり」と「鏡の間」を隔てるように「揚幕」が下げられています。
次に、舞台裏を見学しました。揚幕について説明を受けた後、揚幕を揚げる合図となる「おまく」という掛け声をかける練習と、幕揚げを体験しました。その後、鏡の間と、舞台下に据え置かれた瓶を見学しました。瓶は、音響効果をよくするために置かれていますが、新しく作られる能舞台に瓶が埋められることはほとんどなく、今では珍しいものであるようです。
最後に2階の桟敷席にも上がらせていただき、一階から見たアングルとは少し違う能舞台を見ることが出来ました。
前田和子先生の説明は、とても分かりやすく興味深いものでした。子どもたちも、日本の歴史や文化の一端を楽しく学ぶことが出来ると思います。ご興味のある方は、訪ねられては如何でしょうか?
見学には事前予約が必要です。今回私たちが参加した「見学会」以外にも、「体験講座」や「体験見学セット」など様々なプランがあります。詳細は、以下のサイトをご参考下さい。
山本能楽堂ホームページ: