12.17 「子どもは風の子」
4年生
お知らせ ・明日、理科のテストがあります。 単元名「ものの温度と体積」 ・12月20日(金)に立体作品を持って帰ってもらいます。お子さんの作品の大きさに合う袋のご用意をお願いします。 |
<外国語活動の様子>
学校紹介をするために、音声を記録したり、写真でカードを作ったりしています。
タブレットを駆使して、がんばっています。
<図工の鑑賞の様子>1組・2組ver. ※3組は明日です!
「子どもは風の子」
「子どもは風の子」という言葉は、日本の古いことわざや慣用句の一つです。この表現には、子どもは健康で活発であり、寒さや風にも負けず元気に遊びまわる存在だ、という意味が込められています。特に、冬場の寒い季節においても外で遊ぶ子どもの元気さやたくましさを象徴的に表現しています。 |
さて、
私が通っていた小学校は、もう今は、ない。
その母校の名は、「河南町立石川小学校」。
私は、大阪府の南河内郡にある河南町という場所で育った。
何かのテレビでは、「河南町は、大阪府でいちばん認知度が低い町」として紹介されていた。
失礼な話だ。
でも、なんだか誇らしく感じるのは、なぜだろうか。
きっと、この気持ちは河南町民にしかわからないだろう。
河南町のシンボルといえば、ワールド牧場。
ワールド牧場は動物にふれることができる牧場。
今思えば、「ニフレル」の先駆けか、と。
人口も少ない、人間関係の世界も少ない河南町。
道を歩いても、会う人、会う人が知っている人だった。
あそこのおじさんは、ぶどうをくれる。
あそこのおばさんは、小言を言いながら歩いている。
そんなことは、近所の人がみんな知っていることだった。
あの時の情報は、今のSNSなんかよりも速く伝わっていたなと、思うほど。
おばちゃんたちは、Wi‐Fiより強い。
そんな河南町の北側に位置する石川小学校に6年間通った。
私のクラスは23人だった。いや、私の学年の人数は23人だった。
6年間、クラス替えもなければ、逃げ道もない。
ある意味、限られた人間関係のなかでうまく過ごすことを鍛えられたのかもしれない。
そんな石川小学校に通う内堀少年は、年中半袖で過ごす小学生だった。
最初、母は心配そうにしていたが、最後にはもう気にしていなかった。
むしろ長袖を買う費用が抑えられて、家計を助けていたのかもしれない。
半袖で通っていた理由はいくつかある。
ひとつは、みんなからの賞賛。
もうひとつは、途中でやめられなくなった。
あの頃の自分にとって、”半袖”でという武器は、、精一杯自分を大きく見せるための道具だったのだろう。
脆く、弱い武器を身にまとった僕は、全校児童100人ぐらいのみんなにすぐに名前を覚えてもらったように思う。
「半袖の内堀」だ、と。
学校は、親戚の不幸の時以外は、休んだことがなかった。
この半袖のことから学んだ教訓は、「風邪は引くな、押せ。」だ。
守り腰になると、人間弱くなってしまうことがある。
寒いなかでも、半袖で過ごすことで健康でいられる。
これからどれだけ寒い時代を迎えようと、”半袖”で過ごす強い気持ちをもつ大人でいたいと思う。
今日は、寒さに負けずに遊ぶ子どもたちにスポットを!
~ 今日の一言 ~
こちら。